京都の木の家注文住宅のエビナ製材ブログ

2018年 1月

祖父との思い出 介護のことなど

海老名智史

【祖父との思い出 介護のことなど】

こんにちは!

エビナ製材で主に改築・建て替えを担当しています
住宅介護コンサルタントの海老名智史です。

先週は小春日和の陽気だったのに
今週は数年に一度の大寒波・・・!

寒い!

貼るカイロを身体中に貼る!貼る!貼る!

早く貼る、いや春に来てほしいな~と
切に願う今日この頃です。

さて、今日は祖父の話をしたいと思います。

90歳で亡くなって今年の4月で丸21年になります。

最期の出棺お見送りの時は
家の前の小学校の桜が散りかけで
春風が桜吹雪を舞わせて
無性に綺麗で涙がこぼれたことを覚えています。
(おじいちゃん、天に愛されているなあ・・・)

祖父は確か10人兄弟姉妹の長男で幼い頃から働いて
材木屋さんに丁稚奉公して木材や商売のことを学んで
戦前に創業独立しました。

戦時中は徴兵で戦地に赴いていて事業は一時中断していたそうですが
帰ってきてから事業を再開、色々と苦楽を経験しながら会社を成長させて
今のエビナ製材があります。

重たい材木を運んでいたからでしょうか、
私が物心ついて覚えている祖父は70〜80歳台の時でしたが
足が悪くていつも杖をついておりました。
(身体は骨太で丈夫でしたが)

私が小学生の時は
よく将棋を指したり、テレビで時代劇(水戸黄門や必殺仕事人など)を
一緒に見ていました。(なつかしいな〜)

その頃は祖父も杖をついてはいましたが
車の運転はしていましたし、自分一人でトイレやお風呂にも
行ってました。

そして私が中学高校の頃、祖父が70歳後半〜80歳前半の間になると
段々足腰が弱ってきたのでしょう、

トイレに関しては段々間に合わなくなってきたので
自室の横に新たにトイレを作りました。

お風呂に関しては部屋とお風呂の行き来の時は
横について肩を貸したりして介助してました。
お風呂場の中では体を洗う用のイスを置いて
立ち座りの時に介助していたことを覚えています。
(私その時中高生で力はありましたが、
祖父は骨太で結構重たかったことを記憶しています)

また玄関ドアから道路に出るまでウチは石段が8段くらいあって
祖父がこけることが出てきて危ないので石段沿いに手すりも付けていましたね。
一緒に居たときは横について介助していました。

車を運転しなくなってからも電動車いすに乗って
会社に行ってましたね。(会社のことが気になっていたんですね〜)

私が大学入学して岡山に行っている間はあまり接することが
出来なかったのですが、帰省すると晩酌に付き合っていたことは
覚えてますねえ。
祖父も孫と飲むのは嬉しかったようです。

そして80歳後半になると病気で大きな手術をしたりして
入院することも多くなり、段々と寝たきりになりました。
(その頃は寂しい切ない思いでしたね、介護を少しは手伝っていたと
 思うのですがあまり覚えていません)

そんなに喋る人ではなかったですけど大好きでしたねえ。
(今でも好きですよ)

祖父を知る方に聞くと私は祖父に似ているそうです。
(髪の毛が薄い所も似てくるかも・・・)

当時は祖父母・両親・私たち兄弟姉妹3人の7人家族だったので
誰かしら祖父の面倒を見ることができたので今とは全く環境が違いますね。

こうして祖父の思い出を書いていると自然と笑顔になります。

今回も拙いブログをお読みいただき誠にありがとうございます!

住宅介護コンサルタント
海老名智史


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